キリスト教が降誕祭(クリスマス)を祝う冬至と年の瀬が迫っています。

近年のアメリカにおいては降誕祭と新しい年の祝詞である’Merry Christmas.’の文句に文句がつき、それはキリスト教の慣習を多様な人々に圧しつけることになるので宜しくないといわれて’Happy holiday.’の文句を以て代えられようとしています。

しかし考えてみると、’holiday’の語の由来は’the holy day’、「聖けし(きよけし)日」であり、冬至の節を聖けしく思うことは他ならぬキリスト教の降誕祭の慣習に基づく感覚なので’Happy holiday.’はむしろ’Merry Christmas.’よりキリスト教的慣習を暗に圧しつけるものといえます。多様性や平等という建前で、本音では排除をより強めるというおかしなもの。

今は仏教も年越には除夜の鐘を衝くなどしてこの節を聖けし趣にしていますが元々グレゴリオ暦が日本に導入されるまではそのような慣習はなく、日本の古来の年越の節は旧暦の正月である節分(2月4日)の頃です。

なのでどうしても’Merry Christmas.’を言い換えたいなら’Merry year’s end.’と言うべきでしょう。スポーツや劇なんかも、終りは愉しいもの。黒も白も黄も赤も、年の終りを愉しく過ごしましょうということで’Merry year’s end.’。

‘Happy holyday.’などという陰険な言葉は決して遣わないようにしましょう。

 

降誕祭の主役であるナザレのイエスは「生ける神の子」や「人の子」とも呼ばれます。

キリスト教が神を父なる神と呼ぶことは広く知られますが、「生ける神の子」とはその父なる神の子であるということであり、また、「人の子」とは父なる神の恩寵(恵)の充ち満てる人の中の人聖マリアの子であるということです。

イエスが神であるということについてはここではとりあえず置いておき、イエスのような人を生み出した父なる神や母マリアを主として語ります。

神はなぜ「父」なのか?

実は今時は、その「父なる神」というキリスト教の伝統の信仰を懐疑して「神は母でもある筈ではないか?」などという奇説が出たりしています。その依拠する思想は男女平等の思想ですが、男女平等を根から信ずる私などとしてもその説は誤りであるといえます。

何でかというと、キリスト教の前身である現在のユダヤ教、即ちイスラエルの旧約の信仰は、そもそも神を父とも母ともいいません。神はただ神であり、父や母という観念とは全くの別ものであるということです。

そもそも父でも母でもないので、「父であるだけではなく母でもある筈ではないか、」というのはそもそも無意味な問いです。どちらでもないのです。

ただ、人々にとって常に大切な存在である神をあまりこの世の存在とは隔たりのあるものとしていては何だかよく分からない抽象観念に過ぎないものになってしまう虞があります。なのでイスラエルの民は自分達の父祖、即ち民族の最高指導者であるアブラハム、イサク、ヤコブやダビデ王などを神の最も近くにある存在として尊びます。神の恩寵が彼ら父祖に最も強く注がれるということで、神は何となく父なる者というような想像が伝統感覚になっているのです。

その新しい一派(新約)として始まったキリスト教はその「父祖と共にある神そして父祖と共にある人々」の伝統を旧約よりももっと強く大切にして自分達の信仰の基とするという考えから、キリスト教はユダヤ教さえ口にはしない「父なる神」という概念を明文で明確にしたのです。その信仰を最も強く体現しているのは皮肉にも(?)、イエスの父ではなく母であるマリアなのです。

神が父と呼ばれることにどうしても違和感があるという人はそれがあくまでも歴史的慣習に過ぎないと割り切って「天地の創造主、全能の父である神を信じます。」と省略して唱えればよいのです。信仰箇条の省略は個人の事情として許容されますが、変更は許されません。

ただ、「父」や「母」という観念は時代や地域により違いがあったり変わったりします。

神は父のような存在であるという際に、現代の父を念頭において想像すると無理があるかもしれません。キリスト教の「父」はあくまでもイスラエルの父祖達の生き様と信仰ということから出来た観念です。そのことをキリスト教は「神の歴史的働き」というような感じにいいます。それは神というものが世の現実を超越して存在する者ではなく――故に神を「超越者」というのは誤りです。――、喜怒哀楽の蠢き或いは充満するこの世と共に在り、この世のそれぞれの存在に地道に働き掛けるということです。その働き掛けが最も充満した時がイエスがナザレに生まれた時であるというのが降誕祭の意義であり、神学用語では受肉の秘儀と呼ばれます。つまり、神の恩寵はこの世の血となり肉となるということです。

皆さんの日々食べるものも、自分の血となり肉となるとよいですね。

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