
私は長嶋茂雄という人物を信用しません。
しばしば彼と比肩される王貞治は868の本塁打を記録しましたが長嶋は「記録より記憶に残ることを、」と云います。しかしそれは記録では王などに敵わない人が記録というものを変に相対化して記憶という逆張りの観念を打ち立てようとしているだけです。
そのような聞こえの良い考え方が記録を積めるように努力することを怠り或いは初めから関心がなく、一時の歓心を買おうとワンチャン(one chance)を狙う生き方を世に勧めたのでしょう。また、そのような親の下にその子長嶋一茂は野球をしても芸人をしても苦しみ続けることになりました。
しかしそんな長嶋茂雄に関するものに私の好きな言葉が二つあります。それは‘Make miracle.’と‘speed and charge ’。いずれも彼が平成初期に読売ジャイアンツの監督をしていた時のかの球団の宣伝文句。
‘Make miracle.’という言葉には奇跡は作るものであり待つものではないという感じがあります。奇跡とは日々の思い、言葉や行いを通して作り出すものです。この記事はその話をします。
‘speed and charge’という言葉は軍事用語にいう兵站(logistics)のようなもので、物事は演じ手(players)よりもそこに補給を行う者とその営みが重要だという含みがあります。演じ手が最重要ではないとは、長嶋茂雄の生き方とは真反対の彼らしくない考え方です。
今日の主日の福音書はイエスが嵐を鎮めた話です。
イエスが嵐を鎮めることは奇跡として語られます。
そこに何があったかというと多分、「止まない雨はない。」ということでしょう。イエスはそこにある嵐の変化を感じ取り、それは直ぐに止む嵐だと読み、程なく嵐の止む時を見計らって「嵐よ鎮まれ。」と言った。
確かに止まない雨はありませんが、嵐が止むことよりもっと重要なことは嵐が止めばその後にどうするかということです。それを考えずにただ嵐が止むことだけを願っても何も始まりません。イエス達にとってのその後にどうするかということとは倦まず弛まず福音、神の国の実現を宣べ伝えることです。
嵐の後には木々の枝葉が地の面を覆うように散乱したりし、まずはそれを取り除かないとならないということがあります。自分のせいではないそのようなことも人は責任として負わなくてはなりません。
要は金正恩将軍が天気をも変えることができるといわれるのもそういうことで、国難は雨の如く続くが祖国に止まない雨はない、また、彼の国の指導者として自然を含む状況の変化を感じ取り、それらを国を治める行動に生かすという決意の表明です。将軍の祖父金日成首領はキリスト教の牧師の家に生まれ育ったといわれるので、そのような聖書の理解もあるのかもしれません。
自然を感じ取ること、状況を感じ取ること、そのために必要な知識や情報を生かすこと、それは神の御独り子イエスや金正恩将軍などのような指導者だけではなくあらゆる人に望まれるものであり、その努力を王貞治の日本刀のバットの如く積み重ねることにより人間は奇跡を作り出すことができるようになるのです。