三位一体の主日:キリスト教は一神教ではない。

三つ巴や三竦(みすくみ)などのように日本人は三つを一つにして捉えたり構成したりすることを好む習があるようです。 … 続きを読む 三位一体の主日:キリスト教は一神教ではない。

「命を捨てる」ことの意味

牛骨湯。牛の尾の骨肉をじっくりと煮て作る。これは薄塩と醤油で味を着けて高野豆腐、九条葱と韓唐芥子を添えたもの。 … 続きを読む 「命を捨てる」ことの意味

信ずるとは信じたいと願うこと。

透織花(lace flower)  復活節が新緑と共に深まる先日に花屋で初めて知る花を買いました。その花は透織 … 続きを読む 信ずるとは信じたいと願うこと。

受難に目を向ける:枝の主日

カトリック教会の枝の主日の祭儀に用いられる棕櫚の枝。神社や仏院の初詣の護符のように翌年の枝の主日に回収されてそ … 続きを読む 受難に目を向ける:枝の主日

光がなければ見えない。

 四旬節も大詰めに入り、桜の花の咲き始めているこの日曜日の昼餉はこのスパゲティアッラビアータ。  パスタの定番 … 続きを読む 光がなければ見えない。

神はなぜ「父」なのか?

キリスト教が降誕祭(クリスマス)を祝う冬至と年の瀬が迫っています。 近年のアメリカにおいては降誕祭と新しい年の … 続きを読む 神はなぜ「父」なのか?

「アダムは九百三十年生きた」――生命と復活をめぐる冒険

「-をめぐる冒険」という題名の付け方が安易かとは思いますが、久し振りの本ブログのカテゴリー『ちょっと知りたいキ … 続きを読む 「アダムは九百三十年生きた」――生命と復活をめぐる冒険

再掲載:2017年(平成29年)の年頭の論説『下りることのできる社会に』

 2年半前、2017年の元日に私の旧ブログに載せた年頭の論説『下りることのできる社会に』をここに再び載せます。 … 続きを読む 再掲載:2017年(平成29年)の年頭の論説『下りることのできる社会に』

今日はキリスト教の復活祭 その2

 直前の記事には多摩カトリック教会の復活の聖なる徹夜祭のミサに参列したことを語りました。  多摩教会の聖堂は築 … 続きを読む 今日はキリスト教の復活祭 その2